年齢を感じさせないほど美しい、女優の草笛光子さん。
10代で芸能界デビューを果たしましたが、若い頃もとても美人だったそうです。
宝塚歌劇団の出身ではないという噂も。
草笛光子さんの若い頃について調べてみました。
《画像》草笛光子の若い頃が美人すぎる!

70年以上、女優として活躍し続けている草笛光子さん。
小学生の頃からバレエを習っており、1950年に松竹歌劇団(SKD)に5期生として入団。
淡路恵子さん・深草笙子さんと共に「スリーパールズ」を結成し、草笛光子さんは豊かな歌唱力で人気を博しました。


一番左が草笛光子さんだよ!
現在もとても美しい草笛光子さんですが、デビュー当時から美貌は際立っていたようで…








気品と色気があって、とてもキレイですね!
フレンドリーなキャラクターで知られる草笛光子さんですが、意外にも、高校時代まで極度の人見知りだったそう。
私は小さいころ、家族以外には絶対になつかない子でした。それが第一高女に入学したころにも残っていて、人の中に入るのが苦手でした。
通学は、東横線の反町駅から横浜駅までの一駅だったのですが、電車に乗れないんです。人の顔を見るのがいやでハニカミを通り越していましたね。
引用:有隣堂
それが、松竹歌劇団でステージに立つようになってからは、本当にやりたいことを見つけた喜びに変わっていきました。


「SKDに入って、大勢の観客の前に立つようになった時に、本当は私、ここに出たかったんだと気づいたんです。自分を認められたい願望が、心の奥にあったんでしょう。子どもの頃は、その気持ちに素直になれなくて、殻に閉じこもっていたのかもしれません」
引用:小説丸






SKD退団後は、様々な映画やドラマに出演。
華やかな貴婦人から浮気相手役まで、多彩な役柄を演じる女優へと成長しました。


音楽バラエティ番組『光子の窓』では司会を務め、洋窓から顔をのぞかせてテーマ曲を歌うオープニングが注目を集めました。


30代になっても美貌は衰えず、年齢を重ねてさらに美しくなられたようです。
草笛光子が宝塚出身はデマ!高学歴って本当!?


その美貌と歌唱力の高さから、「宝塚歌劇団出身では?」という声があがる草笛光子さん。
ネットでも、「宝塚」というキーワードが検索されていますね。


しかし、先述のとおり、草笛光子さんは松竹歌劇団出身で、宝塚歌劇団出身ではありません。
小学生のときからバレエを習っていた草笛光子さんでしたが、もともと芸能界を目指していたわけではありませんでした。
父親からの「光子、なぜ横浜で一番の学校を選ばない」という言葉に促され、横浜第一高等女学校に入学。
横浜第一高等女学校は現在、横浜平沼高校となっており、偏差値「65」という超難関校です。



すごく優秀だったんだね!


頭脳明晰だった草笛光子さんに転機が訪れたのは、高校3年生のときでした。
卒業が迫るころ、私にとって大きな出来事が起こりました。ある方が私の知らないうちに松竹歌劇団の入団願書を出していて、受験せざるをえなくなってしまったんです。60倍くらいの競争率でしたが結果は合格でした。それで大騒ぎになりました。
引用:有隣堂
狭き門をくぐり抜けたものの、実家は芸能界と縁がなかったことから、松竹歌劇団(SKD)でやっていく自信がなかったという草笛光子さん。
ある先生の「1か月、歌劇のレッスンにに通いなさい。それで自分でどうしたいのかを決めなさい」という言葉通り、1ヶ月レッスンに通ったところ、自信が芽生えたためSKDでやっていくことを決意。
先生の中には、「何も娘さんを水商売すれすれの世界に入れることはないでしょう、せっかくこの学校に入ったのに」と言う人もいました。その言葉には、すごくショックを受けて、生涯忘れられません。乙女心はとても傷つきました。でもそう言われて、ムクムクと反抗心がわいてきました。
引用:有隣堂
中にはこんな心無い言葉をかける先生もいたそうですが、草笛光子さんが優秀だったからこそ、かもしれませんね。


しかし、その悔しさをバネに、「絶対に活躍する」と誓った草笛光子さん。
高校卒業を3ヶ月後に控えていましたが、SKDから「卒業まで待てない」と言われたため、卒業目前で中退。
松竹歌劇団5期生として入団し、1953年には映画『純潔革命』で銀幕デビューを果たしました。
まとめ
草笛光子さんの若い頃について調べてきました。
- 宝塚歌劇団ではなく松竹歌劇団出身
- 若い頃から気品がある美人
- 横浜第一高等女学校に合格した才女
若い頃から美しかった草笛光子さん。
さらなる活躍が楽しみですね。



